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会津の女性 [講談日記]

明日から10日間、国立演芸場で「大演芸まつり」開催。
毎年、下記協会単位で一日ずつ、総出での公演です。
「講談協会」「漫才協会」「ボーイズバラエティ協会」
「日本奇術協会」「東京演芸協会」「落語協会」
「日本浪曲協会」「太神楽曲芸協会」「日本司会芸能協会」
祭り写真.png
明日1日は「講談まつり」
「新島八重と会津魂」と題しての公演。
私、一龍斎春水はその中で「会津人列伝」というコーナーに
2分で自分の選んだ人物の会津魂を語ることを任されました。

「若松賤子」という女性を語ります。
2分で^^;

イギリス生まれのアメリカ人バーネット夫人が書いた
少年少女小説「小公子」。
これを美しい日本語で翻訳いたしましたのが、
会津藩士の娘・若松賤子。
その名は、会津若松と神のしもべという意味のペンネーム。
クリスチャンでございました。
四歳で戊辰戦争にあい、家は没落、一家は離散。
横浜の裕福な家に引き取られ、
開校したばかりの英語塾に通い始めたのは、
賤子七歳の時でございました。
その主催者が、フェリス女学院の創設者。
女学院の第一回目の、たった一人の卒業生・賤子は、
「小公子」を女学雑誌に四十五回の連続講談として!
もとへ連続小説として発表をした。
神が引き合わせたと言うべきか、
その雑誌主催者と神の名の下に結婚をする。
この時立会人になったのは、
あの西郷頼母邸で女性全員が自刃して果てた時、
その立会人となった中島信行でございました。
この時、賤子は夫へ詩を贈りました。
「私は貴方のものになるのではありません。
私は、わたしのもの。
夫のものではありません。
あなたが成長することをおやめになったら、
私はあなたを置き去りにして行きます。
花嫁のベールは、その翼を隠しています」
戊辰戦争の時代に生まれ、キリスト教を通して世界を見た賤子。
三十三年の生涯に凝縮された思い、
会津の女性の誇りを記憶にとどめて頂きたいと存じます。

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