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地震の日 [春水&洋子]

地震の頃、私は東京浅草の田原町に居ました。
3時から始まる書道のお稽古に、早めに到着して準備。
そこは浪曲協会の事務局で、日本建築の二階建て、築40年ものです。
一階の広間は、真ん中に柱が無く、
二階を借りている本屋さんが山のように本を詰め込んでいるとの事。
恐ろしい環境です。
大揺れの度に、私は出口を確保して、まっ先に表へでていました。
殆どのお仲間は、私よりご年配。
何故か皆さんは表へ出ようとなさいません。
でも、その建物は思いのほか地震に対応して、結局棚も倒れなければ、
棚の中のものも、何一つ飛び出しません。
全く変化無しの、大広間でした。
昔の腕の或る大工さんの仕事は、流石です!!

電話がなかなか通じなくて・・それでもやっと、家族と師匠の無事を確認。
そのうちに、「JRは本日中動きません」という情報。
ということは、私は藤沢の自宅へ帰れないということ。
ここに泊まるしかないということ・・・。
でも、明日は大切な後輩の結婚式で、しかも私は主賓になっていて、
一度帰って着替えて出発しなければなりません。
本日はラフなセーターとキュロットスカートで、お習字の道具を抱えただけの私。
でも、覚悟して、コンビニで買ってきた食料を頂きながら、
テレビの情報をキャッチ。
宮城や仙台の状況を見て、震えました。
ここで無事に避難できていることに、感謝です。

電話がやっと繋がるようになると、夫が車で迎えに来てくれるとの連絡あり!
第三京浜も、横浜新道も通れるし、道は空いているからと。
・・でも、それは神奈川のみの情報でした。
東京に入るまでは1時間。
それから、都内が大渋滞。
芝から神田・上野経由で田原町まで、4時間半もかかり辿り着きました。
深夜2時半になっていました。
都内の大渋滞はまだまだ続いていて、帰り道、第三京浜に入れたのは4時近く。
家には5時半に着きました。
旦那様、妻救出に車で八時間半の往復コース。
感謝です。

お風呂に入っても震えが止まらない程、緊張していることに気付きました。
明日の支度を半分して、6時から8時まで布団に入って、
本当にただ、布団に入って、というのみ。
遅刻して美容院へ。
仕上がったところで浜松町へ車で出発。
車の中でメイク。
これは大正解でした。
JRは再開したと言っても、本数は少なく、しかもゆっくり運転。
電車だったら大遅刻になるところでした。
道路は,意外と空いていて、1時間で会場到着。
窓から外を見ると、東京タワーが!
先端が右ドック。
昨日の地震で、曲がったと言う東京タワーの先端を写しました。
P1000213.JPG

結婚式は、みんなの心の不安をすっ飛ばしてくれる様な、
穏やかで暖かい、楽しい披露宴でした。
ほとんどのお客さが出席だった様です。
有難い事です[バー]

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y-arafi

私も帰宅できたのは、深夜1時もかなり回ったころでしたが、5時半でしたか?
結婚式に出席できて何よりでしたね。
天災は忘れたころにやって来ることを思い知らされました;;
by y-arafi (2011-03-13 14:26) 

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