野沢那智さんと師匠 [声優日記]
声優としての大先輩「野沢那智」様
お悔やみ申し上げます
私が真打ちに昇進した平成16年春
日本橋亭での披露興行に来て下さいました。
びっくりしました。
講談会へ来て下さる先輩は、そう多くはありません。
飲みに連れて行っていただいたり、
番組で長くご一緒だったり、
そんな先輩方のうちの、何分の一かです。
野沢さんとはそんなにプライベートにお話ししたこともなく、
大先輩すぎて、ちょっと私がひいていました。
でもその日、「師匠と会いたいんだ」とおっしゃいます。
「え?師匠とどんなお繋がりが?」と思いました。
師匠にうかがいました。
「薔薇座が始まった頃、劇場にお客の足がながれるように
寄席をやってみようということになって、協力したんだ」
私のアルフォンさんは、私の師匠とも縁があったのですね。
そう言えば同年代。
師匠が昭和14年生まれ。
野沢大先輩は昭和13年生まれ。
松本零士先生も昭和13年生まれ。
生身の人間が愛おしいのは、限り或る命と温かい身体。
ガラスのクレアはそう思っていました。
いつか私も同じ時代を生きた声優仲間と、順番に命終えていきます。
野沢那智大先輩、お疲れさまでした。
お悔やみ申し上げます
私が真打ちに昇進した平成16年春
日本橋亭での披露興行に来て下さいました。
びっくりしました。
講談会へ来て下さる先輩は、そう多くはありません。
飲みに連れて行っていただいたり、
番組で長くご一緒だったり、
そんな先輩方のうちの、何分の一かです。
野沢さんとはそんなにプライベートにお話ししたこともなく、
大先輩すぎて、ちょっと私がひいていました。
でもその日、「師匠と会いたいんだ」とおっしゃいます。
「え?師匠とどんなお繋がりが?」と思いました。
師匠にうかがいました。
「薔薇座が始まった頃、劇場にお客の足がながれるように
寄席をやってみようということになって、協力したんだ」
私のアルフォンさんは、私の師匠とも縁があったのですね。
そう言えば同年代。
師匠が昭和14年生まれ。
野沢大先輩は昭和13年生まれ。
松本零士先生も昭和13年生まれ。
生身の人間が愛おしいのは、限り或る命と温かい身体。
ガラスのクレアはそう思っていました。
いつか私も同じ時代を生きた声優仲間と、順番に命終えていきます。
野沢那智大先輩、お疲れさまでした。
2010-10-31 23:46
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コメント(2)
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松本先生と西崎プロデューサーの幸不幸が、これほど別れてしまったことに驚きを禁じえません。
by y-arafi (2010-11-07 20:54)
もし、「復活篇・第2部」が実現した時は「森雪」を。。。
その舵取りが突然。。。
アルフォン少尉と共に西崎艦長も大宇宙(おおうなばら)へ逝かれてしまった。。。
敬礼!!
by TAMA (2010-11-07 22:52)